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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

ふるさと小包、あの日のはちみつ

伊若 杏

 

 私が子供の頃は、小包を受け取るのは大変でした。まず、荷物が駅に着いたとハガキが届きます。そのハガキを持って、車で二十分かけて駅に行き、荷物を受け取ります。まだ荷物が到着しておらず、出直すこともよくありました。
 父は、ハガキが届くと嬉しそうに車で駅に向かいました。荒縄で厳重に縛った重い荷物を駅で受け取り、家に戻るとニコニコしながら車から降ろしていました。
 「そおら、届いたぞ。」
 新潟の父の実家から、年に数回、故郷の味が届けられました。荒縄を切って、箱の中身を出していきます。野菜や米、新聞紙で何重にも包まれたものを父が次々に取り出していきます。夏場は荷物が届く間に野菜が腐って、箱の角から汁がにじみ出ていることもありました。米とじゃがいもは、ほぼ無傷でしたが、トマトは潰れ、玉ネギ、ナスやキュウリは傷んでいることが多かったです。それでも父は嬉しそうに野菜を取り出していました。
 新聞紙に包まれ、タオルでグルグル巻きにしたビンの中に、細長いタケノコの水煮が入っていました。父の好物のタケノコ汁は、この破竹がないと作れません。いつも三本ほど入っていました。
 そして、キラキラ光る蜂蜜の入った小さなビンが、必ず一本入っていました。
 子供の頃、病弱だった父は寝込むことがよくあったそうです。嘔吐を繰り返した時は、蜂蜜だけ口にして何日も過ごしたと言っていました。
 「これは何万円もする蜂蜜だから、お前らにはもったいなくて食べさせられない。」
 父が真面目な顔で言っていたのを覚えています。私は、そんな父に「一口ちょうだい」とは言えませんでした。
 実際は伯父が山に入り、蜂の巣を見つけて蜂蜜を採ってくれていたそうです。伯父は、子どもの時も大人になっても、父を心配していました。父は、自分のために苦労して蜂蜜を集めてくれる兄にとても感謝して、届いた蜂蜜を「もったいない」と言いながら大事にしていたと後で知りました。
 ある日、幼い私ははしかになり高熱でうなされていました。
 「ほら、飲め。楽になるぞ。」
 父が湯で溶いた蜂蜜を持ってきてくれ、それを飲んだ後に、楽になって眠れたという記憶があります。
 父は胃がん、大腸がんを経て亡くなりました。ずっと胃腸が弱く、故郷から届いた蜂蜜をお守りのような気持で食べていたのでしょう。
 道の駅などでビン詰めの蜂蜜を見ると、蜂蜜を独り占めして笑っている子どものような父を思い出します。

 

(完)

 

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